家庭に神棚を設けるのは、その家の繁栄と平和を祈るためです。一家の人々が心をあわせて、神さまを敬い、ご先祖さまを尊び、子孫を愛するのが家庭の信仰です。このような気持ちで神棚を拝めば、神さまやご先祖さまがお守りくださり、家庭は円満に、 子孫代々まで繁栄することでしょう。
神棚を置くときは、清浄で、家庭の人に親しみやすく、毎日拝んだり、お供え物をするのに都合の良い場所を選びます。神棚は正面を南に向けて、または東に向けて置くのが良いとされ、下をくぐり抜けないような場所が理想的です。
場所が決まったら、天井から吊るなり、鴨居を利用するなどして棚を設け、その中央に宮形を置きます。棚は宮形や、スペースにあわせて適当な大きさにします。


■神棚の祀り方

①神鏡 ②水玉 ③お米 ④塩 ⑤瓶子(御神酒) ⑥榊立て ⑦火立て ⑧真榊


神棚に参拝するときは、まず手を清め口をすすいでからお供えをします。そして二礼(深くお辞儀を2度)二拍手一礼します。家族で参拝するときは主人が前に、家族は後ろに並び主人の作法に合わせて拝礼します。

昔からよく、仏さまと神さまがけんかするので、お仏壇と神棚を同じ部屋に置いてはいけない、といわれることがあります。しかし、これは気にする必要はありません。日本人は古くから神さまか仏さま、どちらか一方ということではなくともに信仰してきました。お寺と神社ですら同じ境内にあるところがあります。神さまと仏さまがともにあるのは、日本人にとってとても身近で自然なことなのです。
ただ、お仏壇と神棚を向かい合わせにして置いてはいけません。どちらか一方を拝むとき、もう一方におしりを向けることになってしまうのは失礼だからです。

祖霊舎(それいしゃ、みたまや)は、神道において祖先の霊を祭るための神棚です。
屋内神殿のひとつ。霊舎(れいしゃ、たまや)、霊屋(たまや)、霊棚(たまだな)、霊床(たまとこ)、神道壇(しんとだん)などとも言います。
神社本庁では霊舎としています。神社の中にある祖先の霊を祀る施設は祖霊社と表記して区別されています。
神道による祖先祭祀において、仏壇に代わる物として登場しました。
神棚よりも低い位置に祀るものだとされており、設置の向きや日々のお供えや拝礼の作法は神棚と同じように行ないますが、
順番は神棚の後にします。
仏教における仏壇に当たるものですが、本来仏壇とは仏像を祭るためのものであるのに対して、
祖霊舎は祖先の霊を家の守護神として祭る点に大きな違いがあります。霊璽(れいじ)を中心にお祀りします。

神葬祭(しんそうさい)とは、日本固有の宗教である神道の葬儀です。
日本の古い葬儀の様式は神話の世界に登場し、古事記の中の天若日子の葬儀のくだりに、
その様子を知ることができます。
日本固有の葬儀は、仏教伝来以降、急速に仏式のものが普及しました。
さらに江戸時代になると、キリシタン対策のための寺請制度(てらうけせいど=人々は必ずどこかの寺に所属しなければならないという制度)により仏式の葬儀が強制されました。しかし江戸時代の中後期になると、国学の興隆によって国学者たちが日本古来の精神・文化に立ち返ろうと訴える中で、神葬祭の研究も行なわれるようになり、日本古来の信仰に基づいた葬儀を求める運動(神葬祭運動)がおこりました。
その結果、幕府は天明五年(1785年)吉田家から許可状のある神道者とその嗣子のみに神葬祭を行うことを許可しました。
明治時代になると、大日本帝国政府の神祇政策の一環として神葬祭が奨励されました。
例えば、神葬祭専用墓地として青山霊園が設立され、1873年7月18日には火葬が仏教の習俗であるとして禁止されました(1875年5月23日解禁)。
地域によっては神仏分離や廃仏毀釈に伴い、地域ごと神葬祭に変更したところもあります。
大日本帝国憲法では、信教の自由が制限付ではありますが保障されていたため、強制されることはありませんでした。
しかし、葬儀は宗教行為とされる一方、官吏待遇とされた官国幣社の神職は宗教活動である神葬祭を行うことを禁止され(府県社以下民社の神職は当分認められた)、宗教活動の出来た教派神道を除いて、神葬祭の普及は停滞しました。
戦後、神道は神社本庁として宗教法人となり、国家管理から離れた為、葬儀に関わることが自由になりました。

特徴:諡号(しごう)が贈られる
仏教では、多くの宗派で、死後の名前として僧侶に戒名や法名を付けてもらいますが、神道ではそれに当たるものは諡号(しごう=おくりな)となります。
神葬祭では前述の通り年齢・性別で区別するのみであるので、仏教の葬儀における法名料や戒名料がかかることがない場合がほとんどです。

十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭、百日祭、一年祭と続く。仏式でいう初七日が十日祭、四十九日が五十日祭に当たります。
地域や葬儀を行う神職によっても異なりますが、二十日祭、三十日祭、四十日祭は省略する場合もあるようです。
なお、一年祭以降は、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以降5年毎に御霊祭を行います。
三年祭は仏式でいうなら三回忌に当たるものなのですが、仏式の三回忌は死んだときを一回目と数えて一周忌の翌年に行われますが、三年祭は実際に死んだ年から三年目(以下五年祭・十年祭とも同様)となるため、注意が必要です。
なお、仏式で言う香典返しの掛け紙には、「偲び草(偲草・しのびぐさ)」もしくは「志」と表書きをします。

神道の墓は奥都城(おくつき=奥津城、奥城とも書く)と言います。
墓石には「○○家奥都城」或いは「○○家奥津城」と刻みます。墓石がない場合は墓標に「○○大人(刀自)命奥都城」と書きます。
神道では戒名はなく、姓名の下に、之霊・命・命霊・霊位などを付けます。

霊璽の意味(霊璽とは)
霊璽は、神道の仏壇にあたる祖霊舎(それいしゃ・みたまや)において、位牌にあたるものを言います。
 仏壇には、御本尊が中心に飾られますが、神道の祖霊舎では、霊璽を中心に飾ります。
 霊璽は、祖先の霊の代わりとして祀るものです。
 神道では、人は分霊として生き、死んだのちは、霊御親のもとへ戻り、そこから家族を守ってくれるという考え方があります。
そのため、祖霊を祖霊舎におまつりして、守ってもらうよう、霊璽に魂込めをします。
その儀式は遷霊祭と呼ば、通夜祭(神式の葬儀のお通夜にあたる)で行われることが多い儀式です。
霊璽は一般的には、白木の霊璽と、そのふたが一対になった状態になっています。

■霊璽の実際
霊璽は、祖霊舎の内扉の中に設置します。戸張と呼ばれる幕を前にかけることもあります。
 霊璽にも、繰出位牌に良く似た形式の複数の板札を収納できるタイプのものがあります。
一枚一枚には、霊号や没年月日を記すようになっています。
通夜祭で行われる遷霊祭で、故人の魂は霊璽に移されます。
玉串を奉納し、拝礼した後、御魂移しの儀が始まります。
夜のように部屋を暗くしたり、太鼓や警蹕と呼ばれる神職による声かけが行われます。

①神鏡 ②水玉 ③お米 ④塩 ⑤瓶子(御神酒) ⑥榊立て ⑦火立て ⑧真榊

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